代官山駅前日記

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福島の畜産農家の友人の日記

地震の後、連絡が取れなくなっていたマイミクさんと連絡が取れて、
ホッとしたのもつかの間、福島は日増しに厳しい状況にさらされています。

その友人の日記を転記する許可を得ましたので、ぜひ読んでください。
被災した当事者が、こんなに冷静でいることに感服しました。

他の地域でテンパっちゃって、買い占めをしたりして
迷惑かけている人たちにも、ぜひ読んでほしい。

以下転記

+++++

「ご心配をおかけしておりますm(__)m」


今回の地震に際し、皆さまからたくさんのメールやメッセ、災害伝言や電話等を頂戴し、本当にありがとうございましたm(__)m


我が家は原発から35kmという微妙な距離にあります。
現在は避難命令も屋内退避命令も出ていない地域ですが、風向きにもよりますが原発で何か起こってから発表になるまでに2時間かかっていることを考えると、間に合わない距離です。
地域の住民の7~8割はすでに脱出して、まるで地域はゴーストタウンと化しています。
3人で福島市の親せき(空家がある)のところに避難して、私は牛の世話をするために自宅へ通勤しております。この燃料事情のおりに通勤などととても贅沢な話ですが、ガソリンはなくても軽油が買い置きやトラクターに入っていた分も含めれば300リッター位ありますので、自衛隊の大型特殊車両や災害派遣のシールを貼った大型トラック、赤色灯がくるくる回るたくさんの大型車両に混じってトラックで通っています。

話が少し外れますが、浪江町や南相馬市は地震直後に大きな津波に襲われ、町はほぼ壊滅状態です。そしてその直後に避難命令が出たために、行方不明者の捜索はほとんど行われていません。地震や津波の後に、もしかしたらけがをして生存していたであろう人たちも、誰にも捜索されることなく今となってはおそらく生存の可能性は極めて低いものと思われます。


大熊の友人は地震でコンクリート製の壁が崩れ、牛4頭が下敷きになり、生きて苦しんでいるのに助けてやることができず、避難命令が出てしまったために着の身着のまま逃げてきたと泣きながら電話をくれました。
小高地区の酪農家の同級生は、20km圏内で避難命令が出て、「俺は原発に負けたんだ」と燃料がないからダンプで逃げる途中に電話をくれました。
学生時代、一番仲の良かった友人です。


私は現在大小含めれば95頭位の牛を飼っています。
私の生活のために私が勝手に作りだした命です。
皆が、もしかしたら生存の可能性のある家族や友人を捜索することすらできずに避難しなければならなかった状況の中で、友人が同じ状況下で決断しなければならなかったことを私も決断しなければならない時が来るかもしれません。



すぐ近くの酪農家さんで生産された牛乳から基準値を超える放射線が検出されました。福島県産の農産物は崩壊です。

「すぐに体に影響が出る数値ではない」という極めてあいまいな言葉を使う国や東電に言いたいことはたくさんありますが、今、それを言ってみても何も解決するわけではありません。

唯一つ。
原子力発電に対する認識は180度転換の方向で進むことになると思いますし、なんのかんのと言ってはみても人間の便利な生活に欠かせないエネルギーを、もっと各個人なり小さな規模の団体なりが節約したり別な手段で作り出せるシステムを身近なところから作っていく必要を世界中に訴えたあまりにも大きな犠牲と代償を負わされた事故であったと思います。


多くの人が命を失い、家族や家庭を失い、住宅を失い、職を失いました。

早く落ち着いてくれることをのみ祈っています。
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by max403 | 2011-03-20 13:07 | 日常

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